初夏のたった一つの思い出・・・信仰再起原点~G.B.シドッティのサンタマリア教会
2006年 09月 05日映画「サイレンス」 はここで撮影できたのでは?!
わたしが訪れた岸壁は・・・
そこから、
あの頃のシドッティは、上陸した。
我が心の世界自然遺産の島から・・・
生きるために、神と出会う旅・・・
約十年前になるかな、ただ食を断って二人で七日間を島で過ごし、今はその敬愛するおじきがいる・・・なんど訪れても飽きることがない・・・ぼくはいつしか殉教者たちの
彼は帯刀し、ちょんまげを結って、日本(屋久島)に漂着したのです・・・涙が・・・
『この絵は2012年9月9日のサンタマリア教会においての9月のイベントに出席した時に、教会内で撮影したものです』宣教師シドッチの足跡と銘打って、古居智子さんが講演されたのです。とても素敵な恵まれた講演会でした。桑山さん、古居さん、教会関係の皆様ありがとうございました。
ジョヴァンニは1668年にイタリア、シチリア島パレルモに生まれ,イエズス会の宣教師として、日本へ布教活動に向った。
このころの日本はすでに鎖国状態。布教にはかなりの覚悟が必要だったようだ。 マニラの地にいた日本人たちから言葉を学んで屋久島への潜入に成功したものの、見つかってしまい、ジョヴァンニは長崎へと送られた。
約一年後、江戸の小石川切支丹屋敷へと連れてこられたジョヴァンニは、新井白石と出会い、新井はジョバンニの取調べを行って『西洋紀聞』を執筆。ジョバンニとの交流は白石にとって西洋観を変える出来事であった。
日本は鎖国の状態であったが、このころになるとキリシタンだからといって問答無用で処罰を与えるようなことはせず、改宗をすすめていたため、シドッティへの対応は厳しいものではなかったらしい。しかし、シドッティの世話係であった夫婦が彼の布教によりキリシタンになったことを告白したため、彼は地下牢に隔離されることになった。そしてその年に彼は牢中で亡くなった。
「わたしの義人は信仰によって生きる、もし、恐れ退くならなら、わたしのこころは彼を喜ばない」
へブル人への手紙10:38
記憶に残る教会は三つあります・・・
「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです」
へブル人への手紙11:1
by K.Dorokawa
| 2006-09-05 00:34
| A trip